森川美里 23歳|納棺師

「自分の中の大学から就職っていう今までは、つながりかけてたんですけど、高校が、やっぱどうしても浮いてたんですよね、なんかそれを頑張ってこじつけれた感じ」

2018年に理想の死に方の取材を始めたときに、協力してくれた女性。集合時間まで新潟でハマった生牡蠣を食べて待ち、その後ペット可のカフェで取材した。私は以前から彼女の死生観に興味を持ち、やり取りを続けていた。大学卒業後、納棺師を選んだのは死について考えるためだそう。

· GOODWAR インタヴュー,理想の死

ーあなたの自殺に対する考えを聞かせてください。

自殺に対して?自殺に対して、は、すてきだなと思います。何てーの、そのー、やっぱそう、その自殺が、嫌いだっていうか、信じられない、みたいなケースは、こう、すべてを身を任せるべきことみたいな、死だって、そのほかの選択だって流れるままに、いくもの、それが人生とか、それが生きるっていうことだと思って。あのー、それもやっぱりわかるなと思うんですけど、でも終わりを、区切ることによって、ようやく始まるというか生まれることもあるなと思ってて。例えば、私が、自分が30歳に、死ぬとしたら、そーれを決めることによってできることもあるし。まあその前に死ぬ可能性もあるんですけど、それより、あとがないっていうことによって、なんか私の場合はすごい頑張れるというか、終わりがあるほうが、いいなって。終わりを自分で決めれるっていうことがすごい、いいなって思うので、そういう意味においては、自殺はいいと思う。ただ、それが昔は、まあ20歳(ハタチ)までにとか、25歳までにとか、その辺で死ねたらいいなっと思ってたのが、(今は)みんなよりは、長く生きたいというか。せめて親を納棺するまでは、頑張ろうかなみたいな。なんなら、多分高校時代は、高校のときに交通事故とかで死にたいってずっと思ってたんで。なんか、何ていうんだろうな、だから親より先に絶対死にたいと思ってたんですよね。それが変わりました。親より先に死にたかったのは、ま、多分、高校の当時は、かわいそがられたかったっていう、のがあったんだと思います、大きく。その早めに、幸せなときに、死ねて、でも、普通の状況でみたらそんな若いうちに死んじゃって、もっとこの先あっただろうにってなんか思われるというか、ま、ある意味注目される?のかなっていう一つだったのって。

何だろう、今思えば不思議な感覚ですけどね。別にそれだったら死ぬほどではないと思うんですけど。なんか、うん、親より先には死んどきたいと思ってました。うーん、何でなんですかねえ。

気がついたら。充実しすぎたから、多分高校が。楽し(笑)かった。なんか、怖いぐらい楽しかったです。ほんとそれこそカトリック校だったんで洗脳されてたんかってぐらい、すごく充実しすぎてて、別にその先が怖くなったってわけじゃなくて、今死ねたらもっと幸せだろうなっていう感覚。でも別に自分から死ぬっていうとやっぱネガティブな意味がそんとき生まれちゃうから、交通事故とかだったら、いい感じにそれがなく、ハッピーに終われるんじゃないかみたいな、思ったりもしたよね、そんときは。そうですね。自分がどうとかってよりか、周りにこう、思われたいっていうか。そんな感じ。

うーん。何なんですかね。あんま考えてなかった、そんときも、今も。ほんとに、ラフで考えてたというか。すごい死が軽かったと思います、そんときは。あの、前みたいな切実さは欠いてはいるんですけど、思いはしますね。ちゃんと口にもするときもありますし。例えば何か、この前、着せ替え現場で、着せ替えがすーげー時間がかかって、できれば15分ぐらいで終わらせたいのが30分ぐらいかかっちゃって。遺族がかかってもらう時間が、減っちゃうみたいな現場があって。上司に、うん、おまえ着せ替えはないねっみたいな、感じに言われたときがあって、なんかそういうときは、あ、まあ上司がやってたらそれこそもっと遺族も、向き合えただろうなとか、いろいろ考えたら、あたしが行かないほうがいいなーみたいな感じになってって、あれー、死にたいな、みたいな。感じの。でも、私が、ほんとにここで死ねたら解決するなってなってたのが、今は、死にたいなってなるけど、あ、別に、あ、でも、上司は、ほんとはうまくいったらコーヒーおごるって言ってたのが、これはお預けだなって言ったってくれたことは、ああじゃあまだ次は、あるってことなんだなって思って、あーまあ、着せ替えで失敗したことは着せ替えでしか、やっぱ、自分のメンタルは取り戻せないなってのは知ってるんで問題の解決方法を多分、知ってるジャンルだったからこそ、まあラフな死にたいで終わるというか。その高校のときのとは違う。ちゃんと、死ぬ重量感はあるけど、それ以外の解決方法をちゃんと使える、ふうにはなりましたね。実際に死にかけたことはないですね。ちゃんと死ぬための道具を集めたこともないです。さすがになんか一応、いつでも死ねる、何か薬みたいなのがあったらいいなっと思って。それを持ってれば、いつでも私は選べれるって思ったら、例えうまくいかないことがあっても、いや帰ったら死ねるし、とりあえず、ここの場は切り抜けようみたいな。何だかんだ帰ったら多分おいしい飯食ったら解決するんですけど。それ絶対的な安心があったらいいなと思って、そういうの探してたときあったんですけど、ま、実際は今の時代入手が難しいんで、なんなかったんですけど、実際に、死のうと思ったのはないですね。理想の死に方かー。えーでもこれは変わらず交通事故ですもん、私(笑)。自分で、選ぶとか言って(笑)、交通事故なんだなって(笑)、私は思うんですけど。なんか、やっぱ自分で死ぬってすごい、いいことだなとは思うんですけど、やっぱどうしても、自ら死を選んだってなると、ほかの人、が病んじゃう、ことがあるなっていうのを現場で見てて。ま、よく想像できるのは親とかが、もう少し相談乗れなかったのかとか、親自身も多分、実家にもうちょい帰ってきてくれてたら話も聞けたのにとか、もっと顔を見れたらっていういろんな後悔があると思うし。それこそ今私が、自殺したら、上司の人とかが、あーあのとき自殺の話して私が絶対、自殺は信じられないって言ってたの話したからかなとか、ほかの人とかも、ま、少なからずかかわった人は、責任を感じてしまうんで、それが交通事故だとないというか。もう、しょうがないこととして。まあその交通事故のひいた人にはそりゃ責任生まれちゃうんですけど、ある意味自分がかかわった人が最低限、迷惑をかけず、自分も解決ができる方法だなって多分、そんときはっていうか今も、それを超えれるものがないから交通事故になってます。それを自殺って(笑)、言っていいのかわかんないですけど、私はそれです。周りの人が、そのあと多分、あたしの死をちゃんと受け入れやすい、もしくは自分のせいにしない、生き方、ああ、死に方?なんのかなーって、思って。

自殺で亡くなった人を見て。そうですね。うーん、まあこればっかりは、そうですねって一概には言えないんですけど。私が見てきた自殺の人は、そうでもなかったので。どちらかというと、悲しんでる人があんまいなかったというか、なんかちょっと特殊な例に当たることが多かったので。ただ先輩たちの話に聞く遺族とかを見ると、うん、そう、そういう死に方がいいかなって。交通事故とか。だから納棺的に考えたら、納棺しやすさとかで(笑)考えたら、首吊りなんですけど。個人的な理想は、交通事故ですね。

ー印象に残った「あの日」について聞かせてください。

あの日、ないですね。全く。何一つ。何一つないです。うん。ないですね。うーーん。何だろう。今は、これからなのかなっていう感じ。て、これまでは、それが結構きつかったんですよ。苦しかったって感じ。それこそ東日本だったり、何かしらテロだったり。どうしても他人事って、それを他人事しか思えない自分が、なんか嫌だったんですよね。なんか多分それを思ったのは、中高のときカトリック高で、その周りが、毎回何かしらあるたびに悲劇なことが、みんな募金するんですよ。募金だったり、その貧困な子たちが、とか、そういうの見て、1回もかわいそうとか思えなかったりとか、それこそ身近な人が亡くなった経験もないんで、どうしても当事者意識っていうのが正しいかわからないですけど、そういう地震だったりなんかそういうテロだったりとか、で亡くなった人、に対して、何も思えないというか、うーん。ボランティア行く人が気持ち悪いまで思わない、思わないんすけど、何でそこまで、するのかがわからなかったりとか、でもなんかこう思ってる自分は、なんかすごい薄情者だって思われるんだろうなっていう状況が、多分無理でそういうのもあ、多分ちょっとあって、物理的に死が近い仕事でいけば自分も少しは、誰かをかわいそうって思えるんだろうかみたいなものも多分、納棺師を選んだ理由の一つだったと思うんで、そんな感じですかね。だからあの日って、あー何ていうんだろうな。過去はどうしても、私には向き合えなかったから。

―これから起きるであろう、あなたにとっての「あの日」について聞かせてください。

そーうですね。多分一番は親とかの死とかになるのかなと思いますね。それの理由が何にしろ。うん、もしくはまあ別に、それこそ、テロでも何でも地震でも。何ていうんだろ。でもそれこそ高校のときは、そういうふうに思えなかった理由として、あまりにも視野が狭かったと思いました。かかわってくる人がすごい限られて。まあバレエもやってたし、まあ学校もちゃんと行ってたんですけど、すごくいい人しかいなかったので、ある意味大学入って、なんかボランティアがクソ喰らえっていう感じのタイプの極端な人もいれば、変わらずいい人もいれば、同じく興味ない人とか、あんまり死が近くない人とか、なんかそういう、いろんなジャンルの人に会えたりとか。今は仕事で逆に極端に死っという分野のいろんな人に会えてるからこそ、その、あんまかかわってない人でも想像しやすくなったというか、その人の、立場になって想像する、情報が増えたんで。ただ親が亡くなっちゃってていうのも、テレビのニュース見ても何も思わなかったのが、いや自分が納棺するんだったら遺族はっていう、なんか視点から、ご遺族の様子を想像をできたりとか。まあテロでも震災でも、ただ、数字でしか見れなかったのが、それこそ、話飛んじゃうんですけど、インターンで石巻、そんときはただ、ホタテ漁師になりたくて行っただけなんですけど。たまたまそのときも、震災とか被災されたおうちで、たまたま話を聞けて、ようやく東日本がここにあったんだみたいな、あの日はほんとにあの日だったんだみたいな感じになって、何だろうな、さっき、あの日みたいなのが未来だけかなって思ってたんですけど、なんか後々から話してくれるあの日になることもあるんだろうな、とは思いますね。遠いあのから、ちょっとそのら辺に、なるんかなとは思います。

ー「テロ」という言葉がよく出てくるのはなぜですか?

多分、それはうちの会社ではテロ被害の人を、扱うことが2回ぐらいあって、国内で。だから海外でテロにあった人が、日本に、搬送されてそれを請け負うというか、ことがあって。その話を、社長とかから聞いたりしたときに、あっ、今まですっげー遠かったテロが、あっ、かかわることがあるんだっと思ったら、だから実際にテロで、いやニュースとかで存在してたんですけど、ものとなってここに、来るっていうことがありうるんだって思ったときにすっごい身近になって、だからそういう意味で多分テロとかが出てきちゃうのかなと思います。

ー「争い」と聞いて何を想像しますか?

争い。戦争、とケンカ、ですね。親とはよくケンカしてますね、めちゃめちゃケンカ。えー。何だろう。その車の運転の練習させてもらってて、母を隣に乗せると、早くもうちょっとそこブレーキ早く押さんととか何かもう、すっごく、ああもうほんとに隣に乗ってるのが嫌だみたいな感じのオーラ出されるんですよ。で、私もそんな乗せたくないんです。そんなんだから言い争いになりながら、車に乗ったりとか、してますね。争いに巻き込まれたことはないかもですね。なんなら争いに巻き込まれた人を見て笑うとかはあるんですけど。何だかんだ、避けてる気がします。覚えてる避けたやつ、うーーん、大学のときに、そのうちの学科内で恋愛がこじれてるときがあって、なんか巻き込まれかけたんですけど、ここで巻き込まれたら後々語り継がれてしまうと思って、何となく、避けるようにしてその辺のメンバーはっていうことはありました。後々聞いて。そうですね。遠目で見れるぐらいの位置で、物理的にも距離を、取ってって感じで。笑って、たり、ちゃんと相談、仲いい子のときは相談をちゃんと聞きました。それ以外は、あー、酒がうまいな的な乗りの笑ってるですね。笑ってますね。そういうケンカを見るのは、好きかもしれない。何だろうな。なんか今って意見がぶつかり合う、リアルでぶつかり合うってことってなかなかないじゃないですか。何だかんだ私も、自分が、ケンカしたくない理由も労力を使うからというか、そういうのもあるんで。ま、ケンカをするから、こそ生まれるものもあると思うんで、一概に嫌だとかは言えないんですけど。あんま、大人になればなるほどというか、S N Sになればなるほど、そういうケンカってやっぱ見れないんで。何だろうな、珍しい物を見る見せ物的な感じで、見ちゃいますね。後先考えないぐらいの言葉が出てくるときは、盛り上がってきたなって思いますね。だから、相手を想像しての言葉が言えなくなったときとか、こう思うがままに。今ぱっと出てこないですけど、例えば親とかが、おまえなんか産まなければよかったみたいな。何かそういう、それはちょっと重すぎるんで見ても笑えないけど、なんか、友人関係でも、恋人とかでも何でもいいんですけど、その、相手を気遣ったら例えば言い方とかを変えれたりとか、そうゆうことを、理性というか、が効かなくなった言葉って、かなり強いし、その人だけじゃなくて周りにも影響が、あるなーってやっぱ感じるので、まあよく言えばすごいエネルギーが、やっぱ、あるんで、生きてるなっていう感じがしますよね、そういうケンカをしているときも見てるときもすごい。あっ、すごい生命力があふれてるなって思いますね。

― あなたの想像する「争い」を聞かせてください。

うーん。争い、じゃないか。戦争はあんまフィットしないし、そんな歴史詳しくないから、やめとこう。何だろうな。ええっとな。えーどれだろうな。うーん、定期的に必要なもの?かなとは思う。人類にとって?

後ろで犬が鳴く

あ、怒られちゃった。ごめんね。犬にとってもだよね。生物学上、争いは必要なことだと思いますね。ただ、定期的にってだけで、常にでもないし。あでも常にあるのかも知んないですね、小さいものだったら、ずっと。うん。なくすこともできないし、あるほうがいいとも思わないけど、ある、あるといいこともあるし、ないとだめなときもあるし。まあないに越したことは、越したことはないと思うんですけど、うん。ただ、それの場所は選べるように、なったほうがいいかなとは思います。

なんか自分の中の、その、大学から、就職と、は、つながりかけてたんですけど、高校が、やっぱどうしても浮いてたんですよね、今まで。なんかそれを頑張ってこじつけれた、感じかな。頑張って、ちゃんとつながってたんだろうなとは思うんですけど、なんかどうしても高校のときの自分と大学のときの自分が別物すぎて、なんか、まあある意味そこで、一回違う死があった、ぐらいな感覚に思ってて、でもちゃんと同じ人生なんだ。そんな感じ。ちゃんと同じ人生だったなっていうのが、まさか争いを通じて、この話につながるとは思わなかった。中高一貫校で、女子校。小学校は普通で。いやー、いい子ぶってたんすよ、高校んときは。いい子ぶるのがうまかったんですけど。大学んときにそれを何とかせいって言われて教授に。いい子ぶるのは成績がよくなるから。

通知表もらったときハッピーやった。あ、なんか、これが求められてるかたちなんだなって多分思ったんだと思います。求められてるじゃないけど、大学とかでかかわった人とか、その私の、一回生とかで引きこもってめちゃめちゃ無理になった時代とか、何だろ、その辺を知ってる人たちとか、に、今自分はこう考えてますよとか、変化してる、変化し続けてるのは見せたいなってのは思ってSNSとかは書いてます。こんな感じ。もしくは、何だろうな。いい子に思われたいっていうよりかは、こいつ飛んでるけど、ちゃんと誠実なところは誠実だなっていうのの、いろんな道を通っていきたい感じはしてますよ。思われたい、思われたいです。だから思われる姿をずっと追ってます。あ、それを求めてますね。納棺師も多分最初そう。うん、そうですね。最初はそう。うん今も多分ゼロではない。納棺師を続けている理由は。軽く言うってなるけど、これからの遺族のためにとか。私にしかできない納棺もあるなと思うんで、ちゃんとそういう意味でも。