藤城孝輔 氏(岡山理科大学教育講師)

ダイアローグとモノローグ
――『SO LONG GOODBYE』(河井朗構成・演出、京都府立文化芸術会館、2020年2月9日)

 

謎めいたタイトルが戸惑いを残す。劇中に「SO LONG GOODBYE」という言葉への直接的な言及はない。そもそも、どう日本語に訳すべきかもよくわからない。“So long” も “Goodbye” も英語の別れのあいさつであり、二種類の「さようなら」を並べたものと解釈できる。それともレイモンド・チャンドラーのノワール小説『長いお別れ』(The Long Goodbye、1953年)を踏まえて「こんなにも長い別れ」と訳すべきだろうか? 学校文法では「so+形容詞または副詞」「such+名詞句」の区別を習うが、「(so+形容詞)+単数名詞」の用法も間違いではない。 「さようなら さようなら」と「こんなにも長い別れ」――両方とも別離のシーンを想起させる言葉だが、どちらに訳すかで印象は大きく変わる。前者はダイアローグを前提としている。一方の人物が “So long” と言い、もう一人が “Goodbye” と答える。もしくは別れようとする人物が、話を聞いていない相手に向かって “So long. Goodbye” と畳みかける。いずれにせよ対話の相手が存在してはじめて発せられる言葉だ。他方、後者は「こんなにも長い別れなので……である/する」というモノローグの言葉を導き出す。いわゆるso that構文である。明言されることのないthat以下の部分は、ノワール小説において特徴的な一人称の内的独白にも通じる部分がある。

ダイアローグとモノローグの区別は、渡辺綾子による一人芝居で構成される本作の核をなす。冒頭、客席の照明がまだ灯っている中、上手袖から渡辺が出てきて客席に向かって立つ。あいさつの後、彼女は「わたしの名前は渡辺綾子です。むかし滋賀県で生まれて いま京都府内に住んでいます」と自分の日常について観客に語りだす。休職中の日曜日に公園で出会った少女の話をするあいだに少しずつ客席が暗くなっていき、完全にステージのみの照明になったところで渡辺は舞台中央に移動して別の人物の物語を語りはじめる。オープニングでは観客を相手に直接自分の話をする対話の言葉で語っていたが、ここではじめて独白の言葉に切り替わるのだ。

配布資料によれば、渡辺が劇中で語る言葉は21人に対して行った仕事についてのインタビューに基づいているという。個々のインタビューからの引用は必ずしも明確に区切られていないため、21人全員の言葉が用いられたかどうかは判然としない。関西弁が混じるときもあればそうでないときもある。自営業、警察官、看護職といった具合に、語られる仕事の内容も目まぐるしく移ろっていく。原案として挙げられているスタッズ・ターケルのノンフィクション『仕事!』(1974年、邦訳1983年)ではインタビュイー一人一人の氏名が示され、百科事典と同様に大まかな職種ごとに分類されている。本作では対照的に匿名のモノローグの集積が通過していくメディウム(媒体、霊媒)としての渡辺の身体が強調されているように見えた。 渡辺がステージ上で演じてみせる「仕事」は、バナナを真空パックにして吊るす作業である。彼女が舞台上手で使用する真空包装機の機械音が劇場内に響き、渡辺は舞台上部から吊り下がったワイヤーにバナナのパックを吊るしていく。バナナを吊るしたワイヤーがするすると上がって天井に消えていくと、今度は別のワイヤーが下りてくる。目的も終わりも見えない、単調で意味のない作業に他ならない。ターケルの著書の序文では仕事は「精神と肉体の両方に対する暴力」と表現されるが、このような無意味な仕事もまた致死的な暴力の一形態であろう。

「なんですかね なんか まるで 『そうすることが決まっているかのように』 働いて 生活してるなって思うんです あー ゆっくり死んでいるなー って思うわけなのね」 劇中、あるインタビュイーの独白として渡辺はそう語る。密封したバナナを吊るす作業を何の不満も漏らさずに延々と続ける彼女も当然のように自分の「仕事」を受け入れ、ゆっくりと死に向かっていると言えるだろう。タイトルが「こんなにも長い別れ」を意味するとすれば、それは別れ=死にいたるまでの長い時間を指すものである。 構成は十分に練られており、コンセプトも興味を引く。だが、本作のねらいや実験性がKyoto演劇フェスティバルの観客全員に受け入れられたとは言いがたい。渡辺のお辞儀で唐突に劇が終わって観客席が明るくなると、「よくわからない」「難しい」とささやき合う複数の観客の声が聞こえた。私の横に座っていた観客は公演後のQ&Aの際に「台詞の語尾に工夫がなくて、おそろしく単調になってしまっていた」という手厳しい指摘を浴びせかけた。肯定的な感想を述べた観客も、言葉を選んで評価できる部分を慎重にすくい上げている印象を受けた。京都府立文化芸術会館は400席規模でありながらステージと観客席の距離が近いため、観客のこのような反応は演者や演出家にもひしひしと伝わっていたはずである。実際、渡辺綾子は「ステージに立っていると、どんな時にお客さんが興味を持って聞いてくれているか、いつ退屈しているかがよく伝わってきました」と苦笑い交じりに語った。

バナナがモティーフなだけにスベっていた、などとつまらない冗談を言うつもりはない。ただ、本作では観客とのダイアローグが不十分だったのではないかと私は思う。ルサンチカにとって本作はKyoto演劇フェスティバルU30支援プログラムの2年目にあたる上演作品である。会場は昨年(2019年)と同じであり、Kyoto演劇フェスティバルに集う観客の雰囲気も把握していたはずだ。支援プログラムは3年がかりの取り組みであるため、いわば3年間にわたって観客と対話を重ねることができる絶好の機会であると言える。だからこそ作り手側が伝えたい表現をただ一方的に押しつけるのではなく、観客とのあいだに築いた関係性をもっと活かした作品作りをしてほしい。来年の大きな成長に期待している。

 

ダイアローグとモノローグ
――『SO LONG GOODBYE』(河井朗構成・演出、京都府立文化芸術会館、2020年2月9日)